小林秀雄の脳を覗く 

先日の日記にも書きましたが、小林秀雄の脳を覗くという本、やっぱり予想通りの内容でとても良い本なのですが、リンク先のアマゾンのページにも簡単な説明書きしか無く、レビューもついていないという何とも不思議で残念な感じなので、目次を書いておくことにします。(ネット上にデータとして保存したいという意味ですので、ひき続き完全放置の方向でよろしくお願いいたします(笑))

小林秀雄の脳を覗く ?辺縁系的な生の批評家? 森崎信尋 近代文芸社

目次

プロローグ 私は何を書こうとしているのか

第一章 心の分析「(大脳)辺縁系的なもの」と「(大脳)新皮質的なもの」
二元論から一元論へ
マクリーンの三位一体脳
一般人の心と「辺縁系的なもの」
一般人の心と「新皮質的なもの」
「辺縁系的なもの」と「新皮質的なもの」の関係
※第一章の注

第二章 心と価値
実在
本物と贋物
ホメオスタシス
快と不快
金(財産)・権力・名誉
真・善・美・聖
真偽の世界
善悪の世界
美醜の世界
聖俗(濁)の世界
本物贋物再び

第三章
(1)直感
直感とは
直感の脳科学
小林の直感は視覚優位
小林の直感が特に明らかにする認識内容
(2)主観と客観
定義
批評行為
小林は確率と帰納嫌い
「辺縁系的なもの」の擁護
(3)心と言葉
言語の脳科学
小林と言葉
直感とは言葉を発見することと見つけたり
(4)宿命
宿命の生物学
そして小林の宿命論は
生の批評家

第四章
(1)ドストエフスキーと小林と私
(2)『「罪と罰」について I』
ラスコーリニコフ
犯行の偶然と必然
行く先が無い
空想
孤独感
孤独から愛へ(?)
美について
(3)『「罪と罰」について II』
小林のドフトエスキー体験と批評
「新皮質的なもの」から「辺縁系的なもの」への転化
人物の架空性、事件の架空性
予想と予測
自殺
「辺縁系的なもの」アラカルト
エピローグ

文献
著者略歴

やっぱり、この本を読んで何よりも嬉しいことは、この{「辺縁系的なもの」と「新皮質的なもの」}という『視点』です。

そもそも、ボクはなぜ「辺縁系」と「新皮質」という分け方に共感しているかというと、前にもちらっと書きましたが、なっちゃんやななみちゃんとボクら(人間)は、どっちが「優しいか?」とか、どっちが「物事の本質を見抜いているか?」(とか、逆に「なぜハイドシェクよりホロヴィッツの方が有名か?」(笑))とかいう辺りが発生源なのですが、脳の物理的な構造の違いとして、人間は他の動物に比べて「新皮質」が異常にデカいみたいなので、それって「エラい」の?という素朴な疑問がしばしば湧いてくるからです。

なので、実は、この本の中で「辺縁系的なもの」(辺縁系優位な脳の状態)の正体として、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフの強烈な虚無感や登場人物の自殺(や、小林秀雄本人の自殺未遂)などを例に、”どろどろした得体の知れないモノに支えられて〜”というところに進んでいくのはいささかアレで、それは「本来辺縁系優位であるはずのところを新皮質が抗っている(けど最終的には敵わないことも(新皮質が優秀なほど)分かってしまう)結果」の様な気がしてならないのですが、もうちょっと極端に言うと、道徳ホメオスタシス(体温や脈拍を一定に保ったりする自律神経の機能と同一)で、そこから派生する背徳は新皮質の為せるワザ…というところに着地したいのですが、脳科学的にロジックが成立して証明されるまでには、というか、一般論として受け入れられるのには、コペルニクスとかダーウィンのスパンで考えると順調にいってあと2〜300年くらいかかりそうな気もします(←知らんけど・笑)

関係ある様な無い様な話ですが、過去2000年間の世界人口のグラフを見ると、2〜300年後の世界って…微妙です…よね

この本を読むにあたって、このあいだテレビでちらっと見た、松岡正剛の”本をノートにする読み方”を見よう見まねで真似てみたり、目次を拾い出したのも若干その影響なのですが、これをきっかけに、去年のハイドシェックの大阪公演のアンコールに登場したフランソワ・ヴィヨンの詩以後のグダグダを、ハイドシェック・カテゴリーの下層に「関連?」カテゴリーとしてまとめてみました。

大阪公演の日記のヴィヨンの詩の翻訳者・・・彼をしてこの詩をフランスの詩歌の中でもっとも美しい一編と言わしめた・・・鈴木信太郎氏と小林秀雄、また、小林秀雄と松岡正剛の間にはそれぞれ実際に接点があった様で、それぞれ最大公約数的でないところが、なんか、良いラインだなと思います。

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