無常といふ事

今思えば、ヴィヨンの「去年の雪、今何処」の詩を読み解く手掛かりとして、小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』を読んだ(まだ途中だけど)ことは、結果としては奇跡的に大正解だった様な気がします。

この本のタイトルが「去年の雪、今何処」であったとしてもおかしくないというか、ヴィヨンの視線と小林秀雄の視線が重なって見えてきます。

…或る考えが突然浮かび、偶々傍にいた川端康成さんにこんな風に喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分のことにせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処へ行くと死んでしまった人間というのは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」

(「無常という事」より抜粋)

こんな風に書いていた小林秀雄も今はとうに後者に当てはまるのですが、”まさに人間の形をしている”というか(笑)
鑑賞に値します(笑)

これら(この本は短編集なので)が書かれた時代の空気を垣間見たいと思っていたら、ヤフオクで当時の「文學界」が超格安で出ていたので落札してみました。

昭和十七年六月號(笑)

大戦の真っ只中であり、内容も直接あるいはその反動的にそれ一色でもおかしくない頃の本ですが、青山二郎による装丁をはじめ、一面の緊迫ムードという風でもない感じです。

↓こんな広告とか(笑)

当時は歯を食いしばった日本男児しかいないのかと思えば、意外と日本男子的な(笑)

ずいぶん洒落(戯れ)っぽいです。

・・・

寝る前に数ページずつ、行きつ戻りつ妄想しつつ読んでいる(「モオツァルト・無常という事」)のでいつ読み終わるか分かりませんが、この古本もいずれ読む機会があれば・・・

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