ラフマニノフ:コレルリ変奏曲/アシュケナージ

アシュケナージのラフマニノフ:コレルリ変奏曲というのを買ってみました。

ラフマニノフ:コレルリ変奏曲/アシュケナージ

ラフマニノフ:コレルリ変奏曲/アシュケナージ

以前、ハイドシェックとラフマニノフの話をしていたときに「ラフマニノフはアシュケナージのコレルリ変奏曲がすばらしいから、機会があったら聴いてみ」と言われて、以来数年経過していますが、最近ロシアのことをいろいろ調べているうちにふと思い出して探してみました。

ロシアというのは、調べれば調べるほど実体から遠ざかってゆくというか、どことなく雲をつかむ様な不思議な国という印象があるのですが、ラフマニノフにしてもチャイコフスキーにしても、バレエ・リュスのディアギレフにしても、描き出すのは共通して「強い憧れ」を「絵はがきの様に完璧な(理想の)美しさ」で表現している様な気がするので、ロシア人自身も実体を強く求めている部分があるのかな…とか思ったりもします。ドストエフスキーなどは憧れとは逆に現実をしらみつぶしにおどろおどろしく弄り尽くしていますが、こちらの方がむしろ直接的で根源的な実体探しかもしれません。そして、ラフマニノフにはそのおどろおどろしさも同時に垣間見ることが出来て、二度おいしいかも?(笑)

アシュケナージは普段ぜんぜん聴かないのですが、日本の最新式の家電製品か自動車の様なハイテクさ・・・というか、ユーザーにとって最適なアウトプットを研究し尽くして、それに付加価値をプラスして精密に再現する…「曖昧さ」すら正確に…というか(笑)
f分の1の揺らぎから、ミクロレベルでもハイエンドのオーディオの様に高精細を保っているし、バレンボイムや…現在世界を動かしている経済的にトップクラスのエスタブリッシュメントの多くもそうですが、千年単位で虐げられてきたマイノリティーの生み出した血の結晶とでもいうのか、ユーザーのニーズを的確に汲み取ってそれに付加価値を付けて提供する出口制御的なシステムは、それ自体がほとんど芸術だと言っても良いのではないかと思うくらいです。

で、長々と書いてますが、聴いてみた印象というのは「すばらしい。けど、ハイドシェックで聴いてみたい。」とか思うので、やっぱり最大公約数からハミ出しちゃった感じ?やっぱり?というか、結論としては【聴く本人に問題有り】な様です(笑)

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