(ボク目線の)ハイドシェック2011のまとめの糸口

ハイドシェックの2011年の日本ツアーも無事終わりました。

本来ならば4月にある予定だった日本公演でしたが、3月の震災の影響で11月に延期になりました。

その間、ハイドシェックはフランス国内外で日本のためのチャリティーコンサートなどを開いてくれていて、その様子を手紙で知らせてくれていたり、電話でもまず「日本はどう?」という具合で、日本の様子をすごく心配してくれていました。

なので…というわけでは決してありませんが、今回コンサートを聴きに行ったときには、演奏の出来不出来とか、アンコールをいっぱいやってくれて得したとか、そんなことを感じるにはとてもおこがましくて、ただただ、再び生のハイドシェックを聴くことが出来た喜びに、いつもに増して全身で浸ることが出来たのでした。

前回2009年の日本ツアーのときにもらった宿題(笑)の、フランソワ・ヴィヨンの詩「La Ballade des Dammes du temps jadis」による自作曲も、今回のツアーでは正式な演目となって演奏された様で、その日のコンサートに行けなかったのがとても悔やまれるのですが、その曲の背景については2年前からもちゃもちゃと自分なりに捏ね繰り回して現在に至っています。

その経験を生かしつつ(笑)、
今回のコンサートに先立って、ハイドシェックの新譜が2枚発表されたのですが、たまたまこの2枚の共通項として「フランス革命」があります。

フランス革命と聞くと、ハイドシェックと出会って以降はモーツァルトと切っても切り離せないのですが、日が経つにつれそれは意義的にもシンクロしてきていて、フランス革命の一般的なイメージ・・・『民衆が自らの手で「自由」「平等」「博愛」を勝ち取った』というイメージは、『モーツァルトは癒しと安らぎの音楽』と同じくらいに胡散臭いという思いが強くなって困るのですが、今年我々が経験した出来事・・・震災と原発事故のその後現在も進行中の様々な対応や、もうすっかり忘れ去られましたがDiorのガリアーノの解任劇などを目の当たりにして、ますますそれは確信せざるを得なくなったというか。

モーツァルトもフランス革命も、そして、ハイドシェックのキラキラと輝いたり変幻自在の色鮮やかな音を引き立たせる極めつけの理由・・・それは、背景の『黒』です。知らんけど(笑)

で、いつものごとく、ストレスがたまるとamazonから本が届くというあれで(笑)、読もうと思って買ったけど読んでない本のコーナーが山盛りになって困っているのですが、本日またまた追加です。

「フランス革命の省察」は、革命のリアルタイムでイギリス人のバーグが書いたその批判の書です。

バーグはどんな人かと思ってアマゾンでその著書をクリックして出てきたのが「崇高と美の観念の起原」で、これはひょっとしたらそのタイトル通りの位置づけの本なのではないかと、パラパラと飛ばし読みしながらにやけているところです。

今年のツアーのチラシのキャッチフレーズだった「孤高の巨匠」にも通じる気もします。

背景『黒』の説明もありそうな気がします。

そしてそれは、きっとヴィヨンの詩の通奏低音とも共鳴している予感がしています。

なので、まず「崇高と美の観念の起原」の方から読もうと思います。

そして、この「フランス革命の省察」と同様、社会的に大きな出来事を経験しながら、その当事者たちはその意味には気付きもしないで依然として目先の些事にとらわれているところが、外から見る人には実に異様に映っているのかもしれない・・・と思ってしまうのもまた、今年のツアーとシンクロしてしまうのでした。

まぁ、昨今は世界規模で異様さが顕著ですけど(笑)

ともあれ、ターニャさんの結婚前の名前がマリー・アントワネットだったことを差し引いても、ハイドシェックが以前アントワネットやルイ16世を擁護する発言を耳にしたことがあるし、新譜の2枚に限らずハイドシェックの自作曲や演奏の解釈がまた数倍楽しくなりそうです。

年末年始はゆっくり読書でもする時間があります様に!

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