と思ったけど、

前の日記の続きです。

今年ハイドシェックから貰った「お題」として、フランス革命を裏側から眺めてみようという試みのために、バークの「フランス革命の省察」を注文したけれど、ついでにバークはどんな人かと思って著書を見てたら「崇高と美の観念の起原」という面白そうな本が有ったのでまずそっちから読もうという様なお話なんですけど、まず助走をつけるのに松岡正剛のバークの項を読んでいたら、その追記で”日本で唯一のバーク論”と絶賛(?)されている桑島秀樹の『崇高の美学』という本があるのを知って、回り道するついでにさらに道草をくってみたくなって、またしても不良在庫が増えたのでした。

いま、ブログを書く手を休めてしばらくぼーっと考えていたのですが、昨年から今年にかけては厄年が重なっていたこともあって、読んだ本といえばドストエフスキーとかニーチェとかオーウェルとか、人間や社会の醜さをこれでもかというほど直視した様な物ばかりで、この「フランス革命の省察」にしてもボクの中ではその辺りが発生源となっている気がするのですが、出来事としてもどうでもいいけどそのまま目を逸らすのも忍びない様なのが次々とあって(たとえば”伝説”の”鬼神が乗り移った”本当の理由を何となく推測出来る様な事柄を垣間見たりとか)同時にニーチェの「蓄群」に対する激しい怒りを想像出来たりしていつの間にかその内にどっぷり浸かってしまっていた気がします。

大晦日か節分までか知らないですけど厄年も終わるし、ベートーヴェンの後期の様に「崇高」と「美」の世界にたどり着きたいという、これはその願望の現れかもしれないなぁ。と。

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