積ん読シリーズのうち、以前からのお題のヴィヨン界隈も同時に増殖しているわけですが、ヴィヨンの人柄を連想するために「ヴィヨンの妻」を書いた太宰に始まって、小林秀雄に寄り道して・・・という辺りまでは前にもブログに書いてたんですけど、その後も、同じ泥棒作家仲間(?笑)のジャン・ジュネとか、その仲間だろうと思われる(?笑)ブコウスキーとか、そういう意味ではボードレールとか・・・と考えていたら、ニーチェや親鸞の悪人正機まで行ってしまったんですけど、ストレートにヴィヨンで検索したら、10年程前の直木賞候補作品に「われはフランソワ」という、そのまんまヴィヨンが主人公の物語があるのをやっと最近になってから気付いたので、読んでみました。
ストーリー仕立てなのですが、現在まで残っている史実やうわさ話、また、当時の時代背景となる出来事や描写も上手く絡んでいて、ひさしぶりにスムーズに楽しく読める本だったのですが、物語としての面白さを差し引いたとしても、ヴィヨンを探るひとつの道筋として、しっかりとした手応えとヒントを与えてもらった様な気がしています。
物語の中に出てくる場所場所は、ヴィヨンが当時活躍(?)した場所でもあるわけですが、以前連れて行ってもらった場所やその通り道と重なる部分が多いのが理由でこんなにいつまでものめり込んでいられるというのが強いんですけど、あらためて物語の中で生々しく描写されているのを見て、また例によってそのとき撮った写真などを懐かしく眺めてみるわけなんですが、それプラス、現代の利器を利用して、道々写真を撮った場所をストリートビューと見比べながら特定するという遊びが可能なことを発見して、また余計な回り道を見つけてしまいました。
meung-sur-loire の街中で何気なく撮った写真(2005.7)↓
ストリートビュー↓ 車までそのままw 近くには”フランソワ・ヴィヨン通り”という名の通りがあったことも発見
で、この物語をヒントにして、たとえば「去年の雪」のルフランに象徴される内容は、この本の中ではシャルル・ドルレアンが語る消滅する騎士道に対する遣り場の無い悲哀と重ねられていたりするのですが、そこが気になって少し調べてみると、そのことはホイジンガの「中世の秋」に詳しいそうで、ホイジンガといえば「パンセ・ソバージュ」や「戯れ」を考えていたときの「ホモ・ルーデンス」(=遊ぶ人)の著者でもあり、そもそもこの遊ぶ人の発想は「中世の秋」から出てきている様だということが分かったりして、点と点がまた奇妙に重なりつつ、「積ん読」本がまたそんな感じで増殖しているといった次第です。
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(追記:1/28)
「われはフランソワ」についての蛇足です。
時代考証という意味で、たとえば、今はもうその記事が消えてしまったんですが、バザーリの回廊(ポンテ・ヴェッキオ)の中でパリの「ポン・ヌフ」の話題を絡めて、この名前は「新しい橋」という意味にもかかわらず、現存する中ではパリ最古の橋だという笑い話があったんですけど、これが建設されたのは1600年頃の話でヴィヨン以降となるわけですが、この物語にはポン・ヌフが登場したので調べてみると、それはしっかり現在のポン・ヌフではなく当時のポン・ヌフ(新しい橋)であったりして、なかなか芸が細かくて感心しました。(今手元に本が無いので詳細は忘れましたが)
ポン・ヌフもそうなんですが、ヴィヨンの幼い頃から学生時代までの生活の拠点であるカルチェ・ラタン界隈や、モン・フォーコンと呼ばれる刑場(=現ビュット・ショーモン)など、ボクのごく少ないパリ体験で連れて行ってもらった場所が、ことごとくこの物語の背景として登場するので、引き込まれずにはいられないという事情もあります。
え~おもしろいですね~。ちょっとブラタモリみたいなブラぴやのや(笑)
♪朋ちゃん
ブラタモリ、見たこと無いんですけど、面白そうですね。
地図に限らないのですが、現代の地図に古地図を重ねて立体的に物事を見る様なやり方が最近面白くて、ほんとにジジィで困ります(笑)