ヴィヨン、園子温

前の日記に続いてまたヴィヨンのネタなんですけど、鮮度ということではやっぱりSNSとかがあれなんで、ごく稀にツイッターとかで「ヴィヨン」を検索したりしてもみるのですが、前回(1〜2年前?)の検索結果は「ヴィヨンの妻」が圧倒的だったんですが、今回は「ヒミズ」というのがたくさん出てきたわけです。

主人公(?)の女の子がヴィヨンの詩集を朗読するシーンがあるそうなんですけど、それより、この「ヒミズ」のトレーラー()を最近どこかで偶然にも見ていたんです。

どこだったか、というか、なぜそこに辿り着いたか、忘れてしまってほんとに悔しいのですが、監督の園子温経由で来たことは何となく憶えています。(まーたsionか…とか思った記憶があります。)

たぶん、最近の例の「積ん読」の中にブコウスキーが入っているんですが、訳者も含めて、日本での受け入れられ方(本国でもそうかもしれませんが)が、なんか、腑に落ちない感じがするわけです。

ヴィヨンにしろブコウスキーにしろ、少し前に流行った「ちょいワル親父」の延長線上で捉えられてしまっているというか、それは太宰の「ヴィヨンの妻」の時点で既にボクはそんな風に思ってしまうのですが(なので、ヴィヨンの妻ではなく斜陽を読んだ)、そんなことをあれこれ考えながら辿り着いたのかもしれません。

ブコウスキーの画像を検索すると、そんな(無駄にかっこいい)写真ばっかりで、ちょっとがっかりします(笑)

(↓こっちの方がよっぽど説得力があります・笑)

前の日記の後で届いた本に、そこに出てきたホイジンガの「中世の秋」の訳者が書いた「わがヴィヨン」という本があるのですが、この人は、前に書いた「遊びをせんとや生まれけん・・・」の梁塵秘抄についても「わが梁塵秘抄」(笑)という本があったり、今もこの人の、ヴィヨンと同時代の「パリ一市民の日記」を題材に書いている「パンとぶどう酒の中世」というのを読んでいるのですが、そういう、等身大の目線で書いてありそうな予感がしていて、無駄にかっこ良くなさそうで楽しみにしているところです。

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