安政と平成 ナマズとドジョウ

積ん読シリーズのうちで、立山博物館が発行した「地震を視る」という本があるのですが、ちょうど1年前の今頃に東北の大震災が起きるのと前後してこの辺りの地震のことを少し考えてみていたことの延長線上で、いろいろと勉強になる本です。

そのときにも書いた「安政の飛越地震」についての記述が多いのですが、飛越地震はさておいて、この「安政」という時代は、ほんと、パンドラの箱が開いたかと思うくらいに、短い間(6年間)にあらゆる災厄が降り注いだ悪夢の様な時期だった様です。→「安政」(Wiki)

そして、この直後、飛越地震からちょうど10年後には、あの明治維新を経て明治元年となっているわけです。

積ん読シリーズの「現代社会を考える」コーナー(←知らんけどw)から見ても、この19世紀半ばというのは本当に特殊な時期なわけで、前にもどこかに貼りましたが、世界人口のグラフもこのあたりにスイッチか何かがあるのがわかります。

(安政元年、時を同じくして欧米ではクリミア戦争やグラッタンの虐殺(インディアンへの迫害)などがあった年に始まって、セポイの乱やアロー戦争、また、最後の年は安政の大獄と同じ月にダーウィンの「種の起原」が刊行されているのも、何か本当に象徴的な気がします。アジア、モンゴル系として(笑))

で、書くのが面倒くさくなってきたんですけど(笑)、この安政と平成は、かなりいろんな共通項がありそうな予感がしています。

上記の「地震を視る」の各章の扉には、当時の風俗を表す絵と解説があるんですけど、なかなか興味深いです。

「瓢箪鯰の図」の下の解説

そういえば、今のそーりだいじんはドジョウなんだそうで、ということをふと思い出したので、日記のタイトルは別に深い意味があるわけではないのですが、なんか不吉な予感がしないでもないです。

パンドラの箱の話は、アダムとイヴがリンゴを食べた話と若干カブる気がするんですけど、昔の人は上手いことを言ったもんだと思います。

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