もうすぐ100万view!



http://www.youtube.com/watch?v=bE2Zok2eL1Q

あと3〜4日くらいでしょうか。

GWのお祭り気分に突入する前に、フライング気味ですがひと足先に書いておきます。

需要と供給とかいろいろなことを考えますが、YouTubeで100万回再生というのはハイドシェックファンとしてやっぱり嬉しいです。

もうすぐ100万view!」への4件のフィードバック

  1. 免努苦齋

    こんにちは。ハイドシェックを検索していて、こちらにたどり着きました。で、「もやもやカテ」(?)がとても興味深く、いきなりで無粋ですが、いくつか思いついたことを。

    まずは小林秀雄・バーク繋がり。小林の最後の著作は「本居宣長」なんですが、この本居宣長という人は普通は狂信的な皇国国粋主義イデオローグというように見られがちなんですが、佐藤 雉鳴という方が「本居宣長の古道論」という本の中で、宣長の古道論の本質はバークの保守主義と同じものだと述べています。つまり、宣長の古道論は日本のコモンローについての論に他ならない、と。これ面白いでしょ。

    で、宣長の次の言葉は私の勘違いでなければ、「辺縁系」と「新皮質」についての問題意識について、本質的なこと語っていると思われるのですがどんなもんでしょうか。「おほかたの人のまことの情(こころ)といふ物は、女童(めのわらば)のごとく、みれんに、おろかなる物也、男らしく、きつとして、かしこきは、実の情にはあらず、それはうはべをつくろひ、かざりたる物也、実の心のそこを、さぐりてみれば、いかほどかしこき人も、みな女童にかはる事なし、それをはぢて、つゝむとつゝまぬとのたがひめ計也」(「紫文要領」)あの文章を読んでいて、私は、この宣長の文章が直ぐ思い浮かんだんですが。

    でもって、私は森崎さんの「小林秀雄の脳を覗く」は読んでないのですが(早速注文しました)、ベルクソンは「物質と記憶」の中で、失語症の綿密な検討から脳は絶対に記憶の貯蔵庫なんかではなく、その引き出し機能に関係しているだけだとトンデモな事を言っているんですが、私の読んだ限り最新の脳科学の知見は、この百年も前のベルクソンの説を覆すどころかむしろ裏付けているように見えるんですよ。というか、脳科学は人間の精神とか心とか記憶とかは全く説明できない。最近脳科学者デカイ顔してる割にはと思うのは私だけかいな(笑)。

    というようなことで積読本を更に増殖させるつもりはさらさら、いや少しはあるかな(笑)、あまりにも考えていることがシンクロしたんで(ハイドシェックさんの音楽の如く)、一気加勢の長文失礼しました。

  2. BB

    ♪免努苦齋さん
    コメントいただきましてどうもありがとうございました。
    また、”もやもや”にお付き合いいただいて、重ねてお礼申し上げます(笑)

    「辺縁系」と「新皮質」という分け方が良いのかどうかはわからないんですけど、農耕以来人間が身につけた社会性とともに発達したと思われる部分がどうしても癪に触るので(笑)なんとかうまいこと言い表せないかと考えてみているのですが、どうも自分の新皮質の容量が足りないようで難儀しております。

    僕の場合は積ん読専門ですので(笑)背表紙を眺めながらあれこれ妄想するのが主で、免努苦齋さんの様に内容を掘り下げて幅広く検証するような力量が乏しすぎてとても残念なんですけど、おっしゃることは非常に興味をそそられます。

    いかんせん基本的な教養が無いので具体的に絡めないのが悲しいのですが、たとえば、引いていただいた紫文要領的なことを、葉隠れ(武士道)から”儒”の要素を差し引いた部分やホイジンガの中世の秋(騎士道)の中に見たり、宣長問題みたいなことを西郷隆盛の内に感じてしまい、安岡正篤を逆読みして、陽明学は、けれどやっぱり儒は儒だと感じたりしていたので、最近は小林秀雄よりもむしろ金子光晴とかの方に流れていた感じなんですが、厄年も過ぎたおっさんがいい歳してランボオにハマってるというシチュエーションがかなりアウェーな感じでしたので、そういう意味でもコメントいただいて心強いです(笑)

    免努苦齋さんのブログを少し拝見させていただきました。積ん読リストに登録させていただきます(笑)

    全体的に的外れな感じですみませんw

  3. 免努苦齋

    あははは、実際にお目にかかったら非常に面白い話が出来そう!?と思うのは私だけ?

    おフランス革命についてはいつかブログで触れたいと思っていますが、なんせ更新頻度が気まぐれで還暦も近いとあっては、生きているうちには無理かも(笑)。

    で、ランボオで思い出しましたが、死ぬ少し前の小林秀雄には「俺のランボオ理解は間違っていた。吉田健一の方が正しいんだ」という発言があって、その吉田健一は十八世紀文化こそがヨーロッパ文化の精華であって、フランス革命はその堕落の始まりとするユニークかつ過激な文明論を書いていたりなんかして、そういう一連の文章の中でモーツァルトの音楽の根底には”諦念”があると言っていて、昔読んでいてこれは小林のモーツァルト論よりも凄いんじゃないか、モーツァルトの本質を突いているんじゃあないかと思った事があります。

    とまたまた”暴走”しそうなんでこれくらいで(笑)。

    わが身に引き寄せすぎかもしれませんが、とてもとても共感できるので、”もやもや”の続き、まったりと期待しておりますです(笑)。

  4. BB 投稿作成者

    ♪免努苦齋さん
    どうもありがとうございます♪

    仏教用語的な意味で”不可思議”という言葉に行き着いて、もうこれ以上ひとりでぐだぐだ考えてても仕方ないかなぁと思っていたんですけど、モーツァルトの諦念とかを目の前にチラつかされると、ミニスカートのお姉さんが目の前で突然危なっかしくしゃがみ込んだときの様に、やっぱり(がっつり)目がいってしまいます(笑)

    そうですか。吉田健一、面白そうです。
    やっぱり、十八世紀辺りに線を1本引いとかなくてはいけない様ですね。

    おフランス革命、期待しています。ぜひ長生きしてください(笑)
    この大きなピースを倒すまでの小さなドミノの連続と、倒れて以降の現在も末広がりに続く様子は、遠目で見れば意外とおもしろいものなのかもしれませんね…

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