もやもやカテの続編の前段階

この日記は、先日コメントいただいた免努苦齋さんへの言い訳なんですけど(笑)、最近は生活のサイクルに読書の時間がなかなか取り入れられなくて、思う様にもやもや出来ずにもやもやしています(笑)

ご紹介いただいた吉田健一も何冊か積ん読したりしてるんですけど、コモン・ロー的な事柄を抽象的に捉えようとすればするほど時代を逆行して、明治維新や江戸時代を軽く通り越して旧石器時代まで遡らざるを得ないことになってしまうので、手に負えないというのが正直なところです。

いつもけんと遊びに行く猿倉山の麓には直坂遺跡というのがあって、県内でも古い方の遺跡らしく旧石器時代・縄文時代の集落跡なんだそうですが、山道を歩きながら当時に思いを馳せてみたりするのが精一杯です(笑)

そうこうしているうちに、あらたに「マキャベリ的知性と心の理論の進化論」というのを見つけてしまい、これは例の辺縁系ー新皮質的な考え方のほぼど真ん中なんじゃないか?ということで、泣く泣く大枚をはたいてまた積ん読を増やしてしまっているのですが、

帯を見ているだけでもど真ん中っぽさが気に入ってます(笑)

で、そうこうしているうちに、免努苦齋さんご本人の著書らしきものも見つけてしまいましたので、同様に積ん読(笑)

という様な案配で、ボクも生きてるうちには無理かも(笑)、というご報告でした。

4 thoughts on “もやもやカテの続編の前段階

  1. 免努苦齋

    あらら、すいませんねえ。言ってくだされば差し上げたのに、著者サイン入りのを(笑)。

    これまで色々な本を読んで色々なことを考えてきた来ましたが、人間という代物は文明的には進化したかもしれないけれども、そもそも文化的には全く進化していないのではないかという思いをますます強くしております。ここ十年くらいはプラトン全集に嵌っていて、この二千年以上も前のプラトンやソクラテスの聡明さというものを考えると、そういった一握りの天才には人間の愚かさなどというものは全く自明の事であったというのが読んでいるととても良くわかるような気がします。

    でそういった人間性に対する探求成果として、フロイトに始まる精神分析の流れも無視し得ないというか、私には非常に面白い。フロイトだけでなくユングや最近ではガタリとかラカンとかの文化論的な文章などですが。で、吉田健一の代わりと言っては何ですが、「もやもや」の切り口から面白い人はというと、岸田秀という人がフロイトの説を土台にして独自の「唯幻論」―総ては幻想である―という説を唱えていて、その中で人間というのは本能の壊れた動物であるということを言っています。そのため人間は種の生き残りのために本能に替わるものとして言語や文化を作ったのだと。従って作り物であるが故に本来本能ににある歯止めが存在しない。戦争などの必要以上の相互虐殺行為だとか、そもそも一年を通して四六時中発情しているのもおかしい、こんな奇妙な動物は人間だけである、と。とんでも説だという批判もありますが、人間はサルから進化したのではなく、むしろサルから劣化したという訳ですから、「もやもや」も少しは晴れるかも(笑)。著作としては「ものぐさ精神分析正・続」で充分、文庫で安いよ(笑)。

    まあ、天才ではない身としては生きてるうちには無理でも、のんびりまったりと行くのが宜しいかと。

    確か阿含経にあった話ですが、世は無常なのか、世界に果てがあるのか、霊魂と身体は同一なのか、死後の世界はあるのか等々と問うた修行者に仏陀は答えず、毒矢に当たっているお前に毒の分析は何の意味がある、私はただ毒矢を抜き手当てをする方法を教えるだけだと諭したという。 

  2. BB 投稿作成者

    ♪免努苦齋さん
    コメントどうもありがとうございます♪

    そうですね。
    知というものは、千年単位で見ても、人一人の一生分以上には集積とか蓄積できないものなのかもしれませんね。
    人間故の愚かさを、否定するか、黙殺するか、ありのまま受け入れて社会に適合できずにいるかという選択の自由は残されているものの(笑)、人間の”進化”の時系列は遡ることができないというところが、尽きることの無い「知」への欲求という人間の業なのかもしれないと思う様になってきました。

    司馬遼太郎が、アメリカはやはりnationではなくstatesだった…と書いていたのが印象に残っていたのですが、最近ではnationでさえnatureからの自然発生的な意味合いとしてずいぶん怪しいと感じています(笑)

    ということで、さっそく「ものぐさ精神分析正・続」を注文して、月初めということも災いして「欲しいものリスト」に入っていた本もまた一緒に数冊注文することになり、積ん読コーナーはますます充実しそうな雰囲気です(笑)
    いま「欲しいものリスト」を変換しようとして「干し芋のリスト」になってしまったのが、神様の思し召しの様な気がしてなりません(笑)

    阿含経のエピソードで思い出しましたが、若かりし頃最初に覚えた”女性の香り”が「毒」という名のdiorの香水でしたが、いろんな意味でやっぱり避けられない業なんだなと思います。

    のんびりまったり行かせていただきます。< (_ _)>

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