今日はNさん主催のコンサートのお手伝いに行ってきました。
このコンサートに心血を注ぐNさんにはたいへん申し訳のない関心と働き、そして以下のブログなのですが…
いつものグダグダですので、あしからず。。。
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今日は「海の日」で、海水浴にはもってこいな感じの、真夏の様にギラギラと暑い日でした。
先日、東北〜北海道に旅行をしたのですが、実は、数年前にハイドシェックのコンサートで札幌に行った以外は、東北〜北海道に行くのは生まれてはじめてのことでした。
けんも一緒に行ったので、車で休み休み、道々その景色や空気、距離感なども肌で感じることが出来たのですが、「蝦夷」という未知なるものと出会うことにもなり、いや、今は既にほとんどその痕跡しか残っていないのですが、なんだかとても気になって、帰って来てからいろいろと調べてみたりしています。
例によって、それ関連の本も何冊か求めて読んでいる最中なのですが、今日はその中で梅原猛の「日本の深層」という本を、少し時間の空いたときにでも読もうともって行っていました。
リハーサルが始まって、雑用も一段落したので舞台の袖でこの本を読んでいたのですが、「アイヌ文化と縄文文化」という段落を読んでいるときに。ステージからは「熊祭りの夜」(イヨマンテの夜)が聴こえてきていて、何とも不思議な感覚でした。
そうこうしているうちに本番が始まり、後半戦はステージを見下ろせる場所からしばしコンサートの様子を眺めていたのですが、本日のメインディッシュ「ドンブラコ」の筋もある程度じっくりと鑑賞させていただくことが出来ました。
いわずとしれた「桃太郎」のストーリーなのですが、歌劇として作曲された当時の軍国主義的な味付けも相まって、タイミング的に妙なところでいろいろと考えてしまいました。(たとえば→古代の大和政権と吉備国の対立構図を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたとするものである。Wiki「桃太郎」より)
で、帰って来てからたまたま「海の日」について調べてみると、海水浴の日だとばかり思っていたのが、実はその成り立ちはぜんぜん違っていて、
のだそうで、日記の前の項目とも少し絡みますが、明治維新(1867〜8)→戊辰戦争(1868〜9)→廃藩置県(1871)→明治天皇の東北地方巡幸(1876)と続いています。
なので、海の日に桃太郎とは、誠にもってうってつけの日となる訳です。
が…
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ぜんぜん関係ないのですが、先日、蝦夷とか縄文人を考えながらいろいろ調べている間に、数年前のこんな記事を発見しました。↓
記事中の数字はソースによってまちまちなのですが、飛騨(ボクの出身地)人はどうも日本の平均的な数値よりも弥生系より縄文人的遺伝子が濃い様です。
この辺りが、先日の東北〜北海道旅行で妙にいろいろ考えてしまった原因なのでしょうか?
ということで、常々感じる「まつろわぬ」気質は、どうやらこの辺りに原因があるのかも・・・という中間報告になってしまいました(笑)
ぴやのやさんのルーツがだいぶ解明されてきたんですね~(笑)
ドラえもんを読んで桃太郎の鬼は外国の難破船の船長だと思ってました(笑)
海の日もそういう記念日だとはまったく思いませんでした。
歴史は苦手だったけど、ぴやのやさんの不思議なレポートを読むのはドキドキします。
♪朋ちゃん
朋ちゃんだって埴輪とか作ってるくせに(笑)
いや、このあいだのゴミを捨てていくおっさんとか原発のアレとかも含めて、日本人が終了している感が強くて(笑)ついつい遡って調べてみたくなります。
ぜんぜん興味の及ばない分野だったのですが、こんなことを念頭にグーグルマップを見ていたら、この辺にもアイヌ語の名前の山とかがあってたいへん興味深いですw
BBさん、今回もまたいい仕事をして頂いてありがとうございました。名演奏の裏には宇野夫妻が気付かなかったことをご指摘頂いたこともあったとかで、大変感謝いたしております。
それにしても、今回はかなりあたふたしてしまいました。よくもあの状態で照明を「無難にこなせた」と思います。その原因はKの不在。他のスタッフをどれだけ揃えても代わりが勤まらないことが身に染みた次第です。
♪N(TKNのT) さん
終わってから泣き言を言っていても始まりませんので、まず、N(TKNのT)さんの場合、ブログのハンドルやコンサートの主催など、trefoglinefanやTKN企画などではなく「中川岳志」にするべきだと思います。
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