ルソーと宣長と去年の雪

久しぶりに、もやもやネタを復活…というか、ブログを書くのもとっても久しぶりなんですが(笑)

ということで、この度あらためてこのカテゴリーの名称も「もやもや」ということにしました。

ブログ全体を「もやもや日記」にしようかとも思ったんですけど、それはまたの機会に(笑)

基本的に独り語りのこのブログの中でも更に偏ったつぶやきのコーナーがこの「もやもや」カテなわけですが、ここに来てほぼ完全にアレです。社会から分断された聖域というか(笑)

さて、ではボチボチ。

この1月にパリで起きた新聞社襲撃事件とその後の大規模デモに前後して、ちょうどその頃には長らく積んでおいたルソーの「孤独な散歩者の夢想」をはじめ、「人間不平等起原論・社会契約論」、「学問芸術論」などを読んでいたこともあり、にわかにフランス革命を連想させるものがあってこの主題にもどるきっかけともなっているのですが、「孤独な散歩者…」はいづみこさんの御祖父君、青柳瑞穂の訳のものを読んでいた最中に、いづみこさんのウォールでドビュッシーと島崎藤村を絡める投稿があり、以前”飛騨人”云々を考えていた折、藤村の「夜明け前」に行き当たっていたことなどを思い出して今更ながらこの「夜明け前」を読んだのですが、それほど作為的にではなく読む本を選んだつもりが、この本の内容はルソーのそれを彷彿とさせる日本版「自然に帰れ」であるところの宣長、篤胤などの所謂「国学」が全編を通したテーマであったので、これはなかなかずっしりと響くものもある様なところにきております。

本居宣長という人は、その生没年はほぼカントに等しい様な人で、即ちルソーとも洋の東西で同時代を生きた人ということになります。カントはルソーからも影響を受けたと言いつつ、カントのいわゆる「理性批判」とは「批判」と言いながらもその実は理性の肯定的な吟味であるのに対して、”純粋”な意味でも”実践”的にも(笑)理性の及ばぬところを鋭く見極めようとしているこの二人の言わんとするところは数多くの共通がある様にボクには見えるのですが、ルソーの「新エロイーズ」(1761)「エミール」(1762)「社会契約論」(1762)と宣長の「紫文要領」(1763)、あるいは、ルソーの「告白」(1770)と宣長の「直毘霊」(1771)がほぼまったく同時期に書かれたものであるというのがボクにとっては何とも感動的な発見で、また、宣長が紫文要領を脱稿したその年は、賀茂真淵に生涯一度限りの教えを受けた「松阪の一夜」などということもあったそうで、また、このブログらしいところに少々脱線しますが、6歳のモーツァルトがシェーンブルン宮殿で御前演奏をした際に7歳のマリー・アントワネットにプロポーズしたという、本当かどうかわからないけどとても有名なエピソードのあるのもこの辺り、1762年の出来事であるとか、ベートーヴェンの誕生は1770年の出来事であることとか・・・何と言いますか、今年の正月などもそうだったのですが、久しぶりにハイドシェックの噂をしたその瞬間に本人から久しぶりに電話がかかってきたという様な、そんな不思議も感じます。ハイドシェックに限っていえば、この人にはこういうことがしょっちゅう当たり前の様にありますが(笑)

ボクのいう「辺縁系」は、どちらかといえば、この古意(いにしえごころ)や自然人の概念に近いものだと思うのですが、以前「マキャベリ的〜〜」という本を読んだ中で、サルの時点で既に新皮質が相応に(マキャベリ的に)発達しているという事実が見えて、なので、国学の中世否定・神武起原を遥かに遡らなければならず、飛騨人や縄文人(飛騨人云々で話題となっていた縄文型遺伝子は朝鮮半島にも分布するという事実を後で確認して「だよね。。」と思ったのはまた別の機会にでも。)、ルソーの自然人をすら遡らなければならないのでそれはほぼ幻想の域なんですが、「去年の雪、いま何処」から始まって、思えば遠くまで来たものです(笑)

幸か不幸か、この1年ほどはちょうどいい案配で犬たちとゆっくり過ごす時間が出来ました。そんなわけで「積ん読」のまま溜まる一方の本なども読んだり、また積んだり(笑)、一連の「もやもや」にも何となく筋道の様なものも見えたり隠れたりする感じになっておりますが、意外と、”古代の人に見る様なあの直ぐな心” などというものは、自分が既にどこかに持っていることを忘れがちだという様な、そんなことを偉大なる諸先輩方、そして、犬たちから教えてもらっている気がします(笑)
もちろん、フランスのおじさんからも(笑)

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