刺す様に強烈な、それでいて日常とは思えぬ程の妙に艶かしく鮮やかな光と、それに続く夜の深い暗闇を予感させる濃く長い影・・・
なかなか文学的な(?)書き出しで、今日の日記は始まります。
「斜陽」という言葉から連想するイメージです。
昨日、たまたまテレビをつけると、NHKのETV特集で『「斜陽」への旅』というのをやっていて、もう、残り5分くらいのところだったので、最初から見たかったと少し残念にも思ったのですが、びっくりもしました。
先日からの「ヴィヨン」の詩を理解するために、でも、何の知識も理解力も無い自分がヴィヨンを理解するためには何らかの助っ人が必要だと思い、ヴィヨンに共感した(もしくは、その存在を知り、その人がそうであっただろうという生き様を知っていた)であろうと思われる、太宰治の書いたものを読もうと思い、その作品の中で選んだのがこの「斜陽」だったのですが、まさに読みたてホカホカのタイミングで、検証や妄想をしてる最中だったからです。
そして、ボクがいちばん気になっていたところが、この番組の最後の5分には有りました。
これは天啓か? と。
ヴィヨンの詩の解読について、というか、その出来事の意味を解読することに、ますます責任…というか、天命の様なものを感じます(笑)
事実は小説よりも・・・面白い。というか。
若いころ、太宰に相当影響されていました。破滅的でいながら、だれよりも純粋な人間性を求めている感じがします。この当たりヴィヨンと重なる?
ETV特集は母が「今日、テレビでやるよ」とわざわざ電話で教えてくれたのに見るのを忘れてしまった。BBさんの記事を読んで「しまった!」と思った(笑)。ところで私の想像ですが、「曲なしや」というフレーズに「じゃあ、私がつけてあげよう」と心やさしいハイドシェックは反応したのか(笑)。詩の解読はまさに責任です(笑)頑張ってください。
♪シルクさん
純粋に純粋さを求めるが故に、というか、人間的に人間らしさを求めるが故に、そして、それに決着を付けながら生きていると、ああいう人生になるんでしょうね。
常に決着を先延ばしにしている自分の人生などは、長生きをすればするほど借金を重ねてる様なものです。
「遺書」として書いてる点が、太宰とヴィヨンの最大の共通項の様な気がします。
シルクさんは出版関係の方なんでしょうか?
「斜陽」というお題で、あるピアニストの生き様を描いている様に見せかけて、実はピアニズムそのもののことを描き、当のピアニストは昔日の美姫たちを次々と甦らせながら黙々と生き続ける・・・という様なストーリーを、誰か書く方はいらっしゃいませんか?
主人公に適役のピアニストに、1人心当たりがあります(笑)