「ぴあ・ぴあ」を読んでいて、ハイドシェックが若い頃に来日したときの評論が、日本人の考える「フランス人ピアニスト」からはみ出していたので(笑)必ずしも良い評価ばかりではなかった云々…という様なことが書かれていたんですが、そういえば「ハイドシェック」という読み方もドイツ語風で、それが初期のプロモーターの意図したところなのかは知りませんが、シャンパンの方は「エドシック」とか「エドシーク」みたいな感じなので、やっぱりドイツを絡ませたい感じだったんでしょうか。
シャンパンの方を遡ってみると、ランスのHeidsieck家の源流は Florens-Louis Heidsieck という1人の人物に行き着くのですが、もともとはFlorenz-Ludwig Heidsieckという名前で、1777年にドイツのヴェストファーレン州からランスに移り住んで1785年にシャンパン・メーカーを設立したということの様です。
で、1777〜1785年といえば・・・まさに「古典」の時代、ハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも実存しています。(すげーw)
ヴェストファーレン州なんていったらベートーヴェンの生まれたボンも含まれるし、ミドルネームも、まんまLudwigですし(笑)
なので「ドイツの血をひく」といったら本当にそんな感じになりにそうですね。
(というか、Wikipediaとかで簡単に遡れてしまう家柄からしてまずすごいので、エドシックで売っても良かったのに(笑))
また、「フランスもの」にしてもこの後の時代なので、その誕生当時からフランス人として馴染んできているはずで、そんなことを言い出したら日本人はスタートの時点でまったくダメということになってしまうハズなのに、わざわざそんな土俵の上にあげる日本の評論家…
もう一度引用しておきますが、
セルアウト – 主に音楽の分野において、自己の持つ個性を埋没させ、大衆受けする作品を作ったアーティストを批判する
型にはめるのも、個性を埋没させることですよね?
表題のついてる作品は覚えやすいけど、「ガーン」と来る曲に表題がついてるとは限らない・・・とかいう感じで強引にまとめてみます。
ていうか、
評論家は必要?
せめて…詩を書けとはいわないが…詩人であれ。

祝・ベスト10入り(一瞬w) ありがとうございます! <(__)>