ジンジャーエール

今日はたまたま近くで仕事があったので、久しぶりにもみくんのお店に行ってきました。

もみくんのお店

もみくんのお店

久しぶりだったのでいろいろメニューとかが変わってて、ウィルキンソンのジンジャーエールがあったので注文して、

ウィルキンソン…何年ぶりか

ウィルキンソン…何年ぶりか…実はカフェ・アリアにもあったのだ。

うだうだとお話をしてたんですけど、日記の方は残念ながら平和なカフェ話や雑貨話の方向には行かず、いつもの路線に戻ります(笑)

戻り方としては、1920年代のアメリカまで飛ぶんですが、1920年代のアメリカといえば「狂騒の20年代」として知られていますが、その時代はまた、禁酒法の時代でもありました。
ジンジャーエールは禁酒法時代にシャンパンの代替品として流通したというのをどこかで読んだ記憶があったので、そこから強引に話を膨らませるのですが、実際には禁酒法時代にも本物のシャンパンはもちろん、酒類全般は流通していた訳で、映画「アンタッチャブル」などにある様な「流通経路」に乗っていた訳です。

アメリカでシャンパンといえば、南北戦争時代の「シャンパン・チャーリー」を思い浮かべるのですが、時が下って禁酒法時代には、その孫にあたる「チャーリー」さんが活躍した様で、流通経路が経路だけにいろいろ武勇伝もあるみたいなんですが、詳しくはクラドストラップ夫妻が書いた「CHAMPAGNE」(邦題「シャンパン歴史物語」)で読むことができます。また、この本には「シャンパン・チャーリー」やそのお父さん…前の日記のFlorens-Louis Heidsieckの3人の甥の1人…についても言及されているので、ボクにとっては貴重な情報源でもあります(笑)

で、その禁酒法時代の「チャーリー」さんは、年代的に見てきっとハイドシェックのお父さんなんだと思うのですが、ボクの手はハイドシェックのお父さんの手に似ているそうなので、ボクも頑張りたいと思います。(←何を)

4heidsieck

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