古典のつづき

考えがまとまらないので、覚え書きとして。

ヨーロッパの文化の歴史を調べようと思って、民族的なルーツから探ろうとしてもなかなか思う様にはかどらなかったのですが、統治者単位で追っかけると意外にあっさりと歴史を辿ることができることに気がつきました。

歴史の勉強をもう少しまじめにやっておけば良かったです(笑)

で、クラシックの「古典」が生まれた時代の背景は、モーツァルトとマリー・アントワネットが1歳違いだったことが象徴している様に、君主制の時代が終盤を迎えようとしている頃だった様です。

この頃までの音楽は宮廷の庇護下におかれていて、いわゆるパトロンが存在していましたが、これも横軸で見ると、あちこちに均等に散在しているのではなく、結構限られた範囲内で・・・啓蒙専制君主と呼ばれる人(フリードリヒ2世、ヨーゼフ2世など)やその周囲、あるいはエステルハージ家などの絶大な財力を持つ貴族などの中で、しかも音楽などに興味を持った君主や当主の世代に限定されていたりするので、かなり特殊な条件だったのではないかと思うのです。

啓蒙専制君主という名称には、なんとなくその言葉のうちに矛盾を孕んでいる気もして、それがまたこの時代を象徴している様にも思えるのですが、時代の転換期に、絶対君主制と啓蒙思想をポジティブな意味で両立させようとしている様子が見て取れます。

柳田邦男は、文献にばかり頼って歴史を知ろうとすると、何もなかったときのことは文献には残らないから、戦争とか災害ばかりがあった様になってしまうという様なことを言っていましたが、年表の行間を無理矢理読むと、君主制の権力と富の集積と共和制的な思想が混在している、かなり特殊な時代の空気があるのかな?と。

現代にも、近くの国に○○民主主義人民共和国という名前で実質的には君主制のとこがありますが(笑)、もしかしたら大作曲家が生まれるかも?…どうでもいいけど。

なので、この「古典」の発生は、進化論的なアレではなくて、かなり特殊な条件が重なった偶然の産物の様な気がします。

ちなみに、進化論のダーウィンもこの「古典とそれ以降の狭間」頃(1809年)に生まれていますが、それ以降、唯物論や経済学や共産主義などに間接的だけどつながっていくので、いろんな意味でやっぱりこの辺に線を1本引いとかなくてはならない場所なんだと思います。

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感謝 <(__)>

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