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リンドバーグのこと

オリンピックも佳境にさしかかり、明日から世間はお盆の大型連休で世論が先鋭化し辛いというタイミングというのはたまたま偶然だと思いますがw、一昨日消費増税法案が参院で可決された記念に(笑)、リアルタイムのマキャベリアン(狡賢い人たち)の考察も兼ねつつ、ずーっと前にちらっと触れたけど消えてしまった日記の内容をおさらいしてみたくなったので、英語版も含めてWikipediaにある範囲内くらいで考えてみます。

ハイドシェックの別荘ツアーに連れて行ってもらったのは、もう何年も前の話になってしまったのですが、ヴィヨンの件をはじめ、このツアーにはボクにとって様々な啓示が含まれていて興味が尽きず、しつこくてすみません(笑)

今回はハイドシェック家の別荘そのもののことについてです。

そもそもこの別荘は19世紀に作曲家のアンブロワーズ・トマによって作られたのですが、ハイドシェック家が所有する前には、大西洋無着陸単独横断飛行のリンドバーグによって所有されていたそうです。


庭の大きな木はトマの時代、周囲にたくさん生えている木はリンドバーグの時代に植えられたものだろうということです。

ボクは、ここで過ごした数日間があまりにも密度の濃い充実した時間だったので、帰って来てからもいろいろと調べたくなってリンドバーグについても調べたりしたのですが、彼がここを所有するに至った経緯は、実は必ずしもボクがここで感じた様な楽園的な幸福な話としてのものではありませんでした。

大西洋横断飛行の快挙を成し遂げて一躍英雄となった彼はどこに行っても人気者で、それゆえパパラッチの標的の元祖の様な人でもあったらしいのですが、そんな彼の境遇が災いしてか愛児誘拐事件で息子を失い、失意のうちにも更に群がるパパラッチを振り切るために、この島に隠遁したという様な経緯があるのだそうです。

「富豪が所有する島」のギャラリー « WIRED.jp

この事件はその後の捜査で一応の解決をみたものの、冤罪説など様々な憶測が後々まで引きずられている様で、そのあたりもいろいろと調べて見ているうちにとんでもない迷路にはまり込んでしまったのが、FRB法案というやつです。

(ちなみに、この事件ととても似た感じの後味のするケネディ暗殺事件も、FRBのキーワードと並べてググれます。)

FRBというのは連邦準備制度のことで、日本でいえば日本銀行、いわゆる中央銀行というやつで、紙幣を発行しているところです。

いわゆる「陰謀論」などといわれるものの大元を辿ると行き着く先がこの辺りなのですが、中央銀行の株主とかを検索するとアレなんですけど、で、上に引用したWikiのページにある様に

J.P.モルガンやポール・ウォーバーグ、ジョン・ロックフェラーの後ろ盾の下に、1913年に、ウッドロウ・ウィルソン大統領がオーウェン・グラス法に署名し、同年多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日にワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した。[クリスマス休暇中、自分たちが買収した議員を残らせ、95名の下院議員と32名の上院議員が不在の中で採決を決行した。]

というのが、なんとなく今回の消費増税のタイミングの茶番と同じ様な匂いがした(ただし、現在日本では議員はほぼ皆さんが既にそっち側か、年間を通してお休み中みたいな感じですがw)のでこんな日記を書いてるんですが、話を戻して、この中で果敢にもこれに立ち向かったのがリンドバーグのお父さんだったわけです。

で、とっても不思議な事に、リンドバーグの奥さんアン・モローのお父さんはといえば、リンドバーグのお父さんとは真逆の位置にいた人で、陰謀論的にいえば…連邦準備制度も準備万端整ったあたりで偶然にも大恐慌が起こり、株価が底値になったところで「政治生命を賭して」ならぬ「資本家生命を賭して」なりふり構わず底値の株を買い漁って”混乱する社会を救った”のが、”たまたま”恐慌のきっかけとなったGMの資金繰り先のモルガン商会などで、このモルガンの当時のGM担当者こそがアン・モローのお父さん、ドワイト・モローだったというアレです。(ソースによって、ドワイト・モローはJ.P.モルガンの会長とかパートナーとかあるのですが詳しくは知りません)

(ついでに、同頁より引用↓)

「世界恐慌にまで発展した1920年代のアメリカの金融バブル崩壊に際して、連邦準備制度が明白な不作為によって事態を深刻化させた」と指摘する論者がいる。この考え方は今ではバーナンキをはじめとして広く受け入れられている。

100年程前の話なんですけど、これは陰謀論的には(笑)現在にも脈々と通じているわけで、日本銀行の株主とかでググると見え隠れするわけですが、そうそう、そもそも日本に消費増税を要求しているIMFについても内容的にはたぶんこれと同類(同一?)な訳で、記憶に新しいところではストロスカーンのアレとか、中川昭一大臣のG7の財務大臣・中央銀行総裁会議での意味不明な酩酊会見とかその後急逝された事とか果てしないわけですが、まぁ、民意ガン無視で「政治生命を賭して」とか言いたくなるのも分からないでもないというか(笑)・・・こんな感じでボクの別荘ツアーの余韻はつづくのでした。

というわけで、みなさま、良いお盆休みを! Bon Bon-yasumi ! 🙂

p.s.
ぜーんぜん関係ないけど、ムーミンの作者トーベ・ヤンソンとパートナーのトゥーリッキ・ピエティラが30年間春夏のアトリエとして過ごした島の映像だそうで、やっぱり、島、いいなぁ。


Klovharun – Jansson Island

詩とか詩的とかいうこと

物事とか出来事とか、あるいはそれの意義だとかそれにまつわる人の感情だとかを、突き詰めようとして論理的に分解したり組み立てたりしていても、結局は分解したり組み立てたりすればするほど核心からは遠ざかってバラバラの破片かその寄せ集めになってしまうなどということを、最近はとくに強く実感しているのですが、それを巧いこと原形を保ったまま浮かび上がらせることが出来るのが、ひょっとしたら詩とか詩的とかいうことなのかなと、そんなことを考えてみたりしています。

ボクにとって、お題はまずこの「詩」として与えられるのが、最大の不幸でもあり、最大の幸福でもあるのか。と。

お題を分解する作業の中で、「詩」は、かつて「神の言葉」と呼ばれていたというのがある本の一節にあって、調べてみると、その「神」とはどうやらギリシア神話でいう「ミューズ」のことらしいのですが、この姉妹の女神たちの役割は、詩の他にも音楽や舞踏、文学、演劇などにわたっているそうなのですが、そういえば、前にハイドシェックが「音楽とバレエは仲良し〜〜」どうのこうのと言っていたのはこのことだったかもしれないななどと思いつつ、そういえば、「フェビウスは友達だ」とか「ゼフィア」がどうのこうのとか、基本的にギリシア神話そのものが詩的なので、ハイドシェックはそれを引用することが多いのかもしれないな…などと思ってみたり・・・こうやってまたバラバラの破片を増やしているんですけど(笑)、この「詩」的なものがやはり重要な気がしてきました。

散文詩というのがありますが、散文と詩は一見相容れないものの様な気がするんですけど、これは見方を変えれば、詩の中から詩的な要素だけを抽出した様なもので、技巧的なものを取り除いたという意味では定型詩よりもむしろ純度が高い気もしないでもなく、ランボーなんかはボクは散文のものの方がよほど身に迫るというのもあるし、音楽でいうと変奏曲の主題だけを聴きたい(変奏の繰り返しがウザいw)とかも思うので、ボク的には散文詩というジャンルは大いに結構なんですけど、もっといえば、荘子と儒なんかをくらべるにあたって「巧言令色鮮矣仁」などといっていること自体が巧言令色じゃね?とか思うので、福沢諭吉的な意味とは逆方向からの・・・というか、そもそも福沢諭吉の走りが儒的なものなんじゃね?とか思ったり。

しかし、孔子の出自はミューズ系ジャンルの家柄というのが引っかかって、完全に否定もし辛いのですが。

ミューズ系のジャンルというのは、実はもののけ姫でいうところの「非常民」チームの役割なのですが、これはだいたい洋の東西を問わず似たり寄ったりで、漂白民とか非差別民とかの受け持ちになりがちな様です。

ここら辺のところは、非常民=先住民(原型)→マキャベリアンに駆逐される の図で、ボクの中では今いちばん主要なテーマなのでもう少し咀嚼したいと思いますが、そうそう、たとえば、モーツァルトという苗字の由来をこのあいだたまたまWikipediaで見て驚いたというかやっぱりかというか、元来はモツハルト(MotzhartまたはMotzhardt)という綴りで、「みすぼらしい奴・卑しい奴」とか「湿地の藪」というほどの意味なんだそうで、この辺りとも繋げて考えたくなってしまいます。

そんな意味も含めて、小林秀雄の「モオツァルト」は、ボクにとっては散文詩だったのではないかと思う…というところに強引に不時着するのですが、impressionしたものがexpressionされているという意味でやはり音楽と兄弟の様なものなのでは・・・と、こんな取り留めのつかない話で某氏のコメ欄を汚すわけにもゆかず・・・という思いで書いてみたのですが、こんな文章はぜんぜん詩的でも論理的でもなくて毎度のことながらがっかりします(笑)

人の記憶

最近は縄文や弥生まで遡って人の営みを考えることが多いので、その時間の単位は100年とか1000年とかになるんですけど、そんなことを調べながら、人1人の考えることなんて、いくら科学技術が発達してあらゆるジャンルの情報が洪水の様に有り余っていても、人1人の一生分以上には蓄積されないのではないかという様なことも考えてしまいます。

たとえば、今日富山では恒例の花火大会が開催されるのですが、これはもともと富山空襲の慰霊の行事として開催される様になったのですが、Wikipediaによると、

広島・長崎の原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった。

のだそうで、多数の死者・負傷者と市街地の99.5%を焼失した大規模な空襲で、当時3歳だったうちの父は、50kmほど南の山間の辺鄙な田舎に住んでいたにもかかわらず、北の空が夜通し真っ赤に燃えていた…という様なことを何度か話してたのを耳にしました。

また、Wikiの別項には、

8月1日から翌2日未明にかけて行われた水戸・八王子・長岡・富山に対する一斉空襲は、司令官カーチス・ルメイが自身の昇進と陸軍航空隊発足記念日を祝う目的で一斉に行われた戦略上 特 に 意 味 の な い 作戦で、1日の弾薬使用量がノルマンディー上陸作戦を上回るように計算されていた。

 (太字:引用者)
 (蛇足の追記:カーチス・ルメイは、東京大空襲、原爆投下などに関わっているにも関わらず、その後日本から勲一等旭日大綬章まで叙勲しているw)

などということもわざわざご丁寧に解説してあるのですが、本題に戻ると、今晩花火大会を見に行く人の何人が、少しでもこんなことを感じているのかな?という様なアレなんですけど、世界の平均寿命が約70歳となった現在、67年前のこんな出来事は、ちょうど人1人の一生分の過去ともいえるのですが、ボクも調べるまでは詳しくは知らなかったし、これは富山空襲に限りませんが、もし克明に記憶していてアクションを起こしている人がいたのだとしても、それは社会の論調からはほとんど忘れ去られてしまっている・・・

という様な長ったらしい1例なのですが、もっと身近にいえば、記憶に新しいはずの昨年の大震災ですらすでに社会的には記憶に新しいとばかりも言えないわけで、個人の社会的な記憶の儚さというか、調べものをしながらついそんなことを感じてしまっています。

p.s.
とはいいながら、それをつまみにして金子光晴—絶望の精神史坂口安吾—堕落論を読むのであって、先日読んだ小林秀雄と坂口安吾の対話などは面白くて仕方ないし、また、本題に帰るところで白川静と梅原猛の対談などもまことにもって面白く、儚いなりにも十分に楽しめるのでもありますが。