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ハイドシェック 大阪公演

詳しくはmagnetさんが書かれると思いますが…(笑)

このあいだの藤岡に続き、またしても抜ける様な青空とさわやかなそよ風に迎えられました。

会場裏口のビルの谷間から見上げる

会場裏口のビルの谷間から見上げる

ハイドシェック、さすが、太陽と友達なだけあります(笑)

太陽のことを「フェビウス」(ギリシャ神話の太陽神アポロンの呼称)と呼んでました。

ちなみに、会場の建物の名称「ブリーゼ」は「そよ風」を意味するらしいですが、T先生のところに滞在中「あんこちゃんハウス」はハイドシェックによって新たな名称を授かったんですけど「ゼフィア’s ハウス」と名付けられました。ゼフィアはギリシャ神話でそよ風の神様、きっと彼も友達なんだと思います(笑)

「ゼフィア」を表現しています(笑)

「ゼフィア」を表現しています(笑)

さっそくボクが「Zephia’s House」と名前を書くと、その上にゼフィアの絵を書いてくれたんですが、…意味不明(笑)

T先生が表現してる感じのイメージらしいです(笑) 爆笑しながら、とりあえず記念撮影しときました。

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コンサートのレポートを書こうとするとどうしても文章力に無理があるので、そちらはmagnet さんにお任せすることにして、自分の役割に徹して総雑用係として、どうでも良い様なところを微妙に掘り下げる感じのスタンスで行きたいと思います(笑)

昨日のコンサートは前回の反省を元に、音楽の中に入ることに徹してみました。

ノイズや音の質や解釈や演奏の出来・不出来に一切惑わされず、ただ音楽のみに身を委ねて・・・みたいな感じでしょうか。

結果的には大成功で、これは、ボクも初めての経験だったのですが、自分の呼吸と音楽が同調してゆくというか、ゆりかごに揺られている様な、なんとも最高に心地の良い経験をすることが出来ました。眠りに落ちる瞬間の心地よさがずっと続いている様な、しかし脳細胞は非常に活性化していて音楽の核心が全身隈無く行き渡る様な、まさに夢心地の時間で、あっという間に演奏が終わってしまったのでした。

ハイドシェックのコンサートでこんな経験が出来るとは、まさにアンビリーバブルです!

日記の冒頭の話に絡めるのでもないですが、「北風と太陽」の話みたいなものなんでしょうか?

そして、アンビリーバブルは重なるもので、素敵なプレゼントまでいただいてしまって、しかし、その瞬間に、恐れ多くてすっかり夢から目覚めました(笑)

最後の1滴まで搾り切った感じのアンコール(笑)

最後の1滴まで搾り切った感じのアンコール(笑)

何となく責任を感じるので(笑)、アンコールの最初の「自作曲」について、わかる範囲で説明しておきます。

この曲はハイドシェックが昨年の夏から秋にかけて書いた新作で、公の場では昨日が初演だと、演奏前の説明で言っていた様に聞こえました。

15世紀のフランスの詩人:フランソワ・ヴィヨンBallade -Des dames du temps jadis- という詩に曲を付けたもので、自筆譜には「バリトンとピアノのための」と書かれていました。ちなみに、opus42 だそうです。

フランソワ・ヴィヨンという詩人は、ジャン・ジュネの先祖みたいな人というか(笑)いわゆるアウトローな感じの人で、捕まって死刑になりかけたりしながらも美しい詩のおかげで恩赦になったり…という様な一風変わった人だったのだそうですが、捕まって監禁されていた場所が、以前ハイドシェックが連れて行ってくれたロワールの町のお城だったり、そこで泊めてもらった場所に「かつてジャンヌ・ダルクが立ち寄った」とか書いてある看板があったりして詩の内容とも若干重なっていたりで、そのときの想い出も関連づけて説明してもらったんですけど、いかんせん、フランス語の詩を英語で説明してもらって、その原文の持つニュアンスや響きの美しさを理解するのは至難の業なのですが、幸いウェブ上に美しい日本語で翻訳されたものがあったので、引用させてもらいます。

ちなみにこの詩のタイトルは「いにしえの貴女を詠う」みたいな意味らしいです。

語れ いま何処 いかなる国に在りや、
羅馬の遊女 美しきフロラ、
アルキピアダ、また タイス
同じ血の通ひたるその従姉妹、

河の面 池の辺に
呼ばへば応ふる 木魂エコオ、
その美しさ 人の世の常にはあらず。
さはれさはれ 去年の雪 いまは何処。

いま何処、才抜群のエロイース、
この人ゆゑに宮せられて エバイヤアルは
聖ドニの僧房 深く籠りたり、
かかる苦悩も 維 恋愛の因果也。

同じく、いま何処に在りや、ビュリダンを
嚢に封じ セエヌ河に
投ぜよと 命じたまひし 女王。
さはれさはれ 去年の雪 いまは何処。

人魚の声 玲瓏と歌ひたる
百合のごとく眞白き太后ブランシュ、
大いなる御足のベルト姫、また ビエトリス、アリス、
メエヌの州を領じたるアランビュルジス、

ルウアンに英吉利人が火焙の刑に処したる
ロオレエヌの健き乙女のジャンヌ。
この君たちは いま何処、聖母マリアよ。
さはれさはれ 去年の雪 いまは何処。

わが君よ、この美しき姫たちの
いまは何処に在すやと 言問ふなかれ、
曲なしや ただ徒らに畳句を繰返すのみ、
さはれさはれ 去年の雪 いまは何処。

Ballade des dames du temps jadis / フランソワ・ヴィヨン

上記は鈴木信太郎氏訳の『ヴィヨン詩集』からの抜粋だと思われますが、訳者をして「フランスの詩歌の中でもっとも美しい一編」と言わしめたとのことです。

関係ないですけど、太宰治の生誕100年を記念した映画「ヴィヨンの妻」が近々公開される様ですが、原作タイトルのこのヴィヨンが示すは、このヴィヨンのことだそうです(笑)

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アンコール2曲目は、砂漠の死の彷徨を表したプレリュードだそうですが、詳しいことはわかりません。声部がたくさんあって、弾くのが難しい・・・とか言ってました(笑)

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以上、どうでも良い様なところを微妙に掘り下げる感じのレポート(?)でした。

感謝!