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なおびと

ボクの名前は「直人」ですが、伊勢物語などの古典では、この字を「なおびと」と読ませて「普通の人。ただの人。」という意味で用いられたそうです。

どちらかと言えば何かの特定的な思想などは昔からあまり興味がなかったのですが、強いていえば老荘…というか荘子的な考え方は好きだったので、この「ただの人」という解釈が結構お気に入りで、外国人に名前の意味を聞かれたときなどに「just a man…」とかいう感じで説明したりします。

(最近は、朋ちゃんが発見してくれた「直す人」というのもお気に入りですが(笑))

で、昨日の「ぴあ・ぴあ」の続きです。

この本に出てくるのはピアニストたちの苦悩ですが、その苦悩の原因…共通の「敵」は何かといえば、いくら歯に衣着せぬ青柳さんといえども、文筆&演奏家としてのポジション・トークとしては、結論として「本人」と言わざるを得ない部分もあるのだと思いますが、ボクはそのどちらでもないですのでもっと直接的にいえば「聴衆」なのだと思います。

「ピアノ」という楽器の原形ができてからちょうど300年ほど経つのだそうですが、この300年の間にいちばん大きく変化したものといえば、それはこの「聴衆」なのではないかと思います。

ピアノ線をつくっている鈴木金属工業(株)さんのホームページに以下の様な記述があります。

もともとピアノは貴族社会の中で発達してきた楽器でしたが、18世紀後半になると、産業革命と進展ともにブルジョアと呼ばれるお金持ちの市民階級が出現 し、貴族社会の象徴でもあったピアノを買い求めました。このためピアノの需要は急増し、工房規模の少量生産では間に合わなくなり、工場による生産へと規模 が拡大しました。また一方、フランス革命に代表される貴族の衰退は、より多くの音楽家が職場を失い、大衆社会に活路を見いだすという変化をもたらしまし た。演奏様式も以前のサロンとはうってかわって大ホールに多くの聴衆者を集め、コンサート方式をとるようになりました。そのためピアノはさらに音量増大と 音域の拡大が必要になり、産業革命以後大きく発展した工業技術を適用して、さまざまな改良が加えられました。

さらにこの後現在に至るまでを考えていると、ウィキペディアの ハイカルチャー大衆文化大衆 という項目が結構興味深かったりするのですが、この中の

例えばクラシック音楽を鑑賞するにはソナタ形式など音楽についての知識・教養が必要であるが、大衆の好む音楽は鑑賞するための知識は必要なく、感覚的に楽しめるものである。

などの考え方は、「斜陽」の中で直治が貴族階級に嫌気がさして身を落とす努力をする原因になった「ゴザイマスル」的で「ペッ、ペッ、ぺッ」なアレなんですけど、大筋では面白いです。

また、因果関係として、昨日のデュバルの引用に絡んで、関連項目にある

セルアウト – 主に音楽の分野において、自己の持つ個性を埋没させ、大衆受けする作品を作ったアーティストを批判する

とかいうのもいい感じです(笑)

で、こんなことを書いてたら非常にとりとめの無いえげつない話になりそうなので、どうしたものかと思っているところなのですが、もし今度名前の意味を聞かれたら「just a man 」ではなく「 just be a man 」とかにしようかなと思うのですが、いまいち文法的に自信が無いので困った困ったという様な感じです。

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謝肉祭の道化芝居

「ウィーンの謝肉祭の道化芝居」(Faschingsschwank aus Wien)について。

しつこいですが。(笑)

工房の前の教室にオーストリアに留学されていた先生がいるので、このあいだ、気になってた”Faschingsschwank”について訊いていたのですが、聞き方が悪くて、勝手にFacshing と schwank を切り離して、うろ覚えで「シュバンク?s – c – h – w – a – n – k ?」とか聞いてたら「?????」という反応だったんですけど、昨日あらためて訊いてみたら、Facshingとくっついて活用する前の元の形は「シュベンケ」(schwanke… aはウムラウト)だそうで、日常的にも喜劇とかコントとかの意味でよく使われる語だそうで、やっとですっきりしました。

ausはやっぱり英語でいうfromと同じだそうで、「ウィーン〜」と訳すのはやっぱりちょっと…。

で、全体の雰囲気としては、ハイドシェックがしょっちゅうターニャさんに電話をかける様に(笑)「ウィーンの謝肉祭って、こんな感じであんな感じでね・・・でも、ボクは今ちょっとお喋りし過ぎで疲れた・・・」みたいな、すごく個人的な作品なのではないかと思う訳です。

いわんや、今みたいに携帯から国際電話がかけられる訳でもなく、また、父親の謀略(笑)でクララはしょっちゅう演奏旅行に連れ回されて半分行方不明みたいになっているので、本当なら1日に10通くらい手紙を書きたかったのが、そのまま曲になっているのではないかと思うのです。

なので、もしクララも携帯を持っていて、パケ放題とかでしょっちゅう写メとか送ってたとしたら、この曲は出来なかったと思います(笑)

・・・・・・・・・・・・・

うろうろしていたら、ちょうどこの曲を書いた当時にウィーンで描かれたシューマンの肖像画があったので・・・

落書きしてみました(笑)

シューマンの自作自演の道化芝居…

『道化師』(笑)  謝肉祭のロベルトくんの道化芝居 from ウィーン

ジャンヌダルク

本当に、テレビばっかり見てる訳じゃないんですけど、昨日たまたまテレビをつけたら「聖女ジャンヌ・ダーク」(ジーン・セバーグがジャンヌ役のやつ)という古い映画がちょうど始まったタイミングで、またまたヴィヨン・シリーズに戻らざるをえないというか・・・不思議なご縁が続きます。

ヴィヨンの例の詩にもジャンヌ・ダルクは登場していますが、その「ルーアンにイギリス人が火刑に処したる…」年に、ヴィヨンは誕生しています。

「聖女ジャンヌ・ダーク」は、悪夢にうなされる老いたシャルル7世の枕元にジャンヌが現れ、過去を振り返ってストーリーが展開するのですが、ヴィヨンの最初の罪に恩赦を与えたのもシャルル7世でした。

シャルル7世とジャンヌダルク

「聖女ジャンヌ・ダーク」より シャルル7世とジャンヌ

また、ヴィヨンの死刑が確定しMeung-sur-Loire のお城に閉じ込められていたときにシャルル7世は亡くなり、王位がその子供のルイ11世に引き継がれるにあたって、その戴冠の恩赦で死刑を免れたのだそうですが(そして例の詩もその同じ年に書かれたそうです)、そのMenug-sur-Loireでは、ジャンヌがオルレアン奪還の一部として戦った場所でもあるそうです

で、その戦いの舞台となった「橋」のたもとの古い建物にハイドシェックの友人が住んでいて、そこに連れて行ってもらった云々ということを前に書いてたんですが、現在はレストランか何かになってるみたいです。

レストランの名前は元々からの建物の名前ですが、「リレ・ルイ11」・・・リレはリレーの意味で、直訳すると(←マイブーム)”引き継ぐ” で、本来は馬の中継の場所とかいう意味なのだと思いますが、ヴィヨンに因んで考えると上記の様な意味で、ダブルミーニングのうってつけの名前になり得ます(笑)

ここの話は、chachatさんも過去にブログに書いていらっしゃいますので、勝手にリンクさせてもらいます。

このchachatさんの記事の中で出てくるハイドシェックの若かりし頃の写真・・・先日のシューマンのロマンスが入ったCDも含めて、カシオペのライナーに使われている写真ですが、1969年にMeung-sur-Loireで撮った写真なのだそうです。

(拝借w)

(拝借w)

ということで、特に結論がある訳ではないのですが、ここ最近の登場人物たちがグルグルと渦を巻いていて、ボクの脳みそは渦巻きになっています。