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本日のグルグル

まだ「古典」あたりを彷徨っています(笑)

今日もまとまらないので覚え書きです。

生暖かく放置しておいて下さい(笑)

昨日発見した「統治者単位で見るヨーロッパの歴史」がかなりお気に入りで、ブルボン家とハプスブルグ家を行ったり来たりしています。

基本的なアンカーは「モーツァルト」「ベートーヴェン」、そして「ハイドシェック」です。

ここに、このあいだの「ヴィヨンの詩」を少しふりかけます。

ジャンヌ・ダルクが天命を受けてシャルル7世を戴冠させてフランス国王の正統性を守ったのがハイドシェック所縁の地「ランス」です。

このあいだ、ハイドシェックのご先祖様がヴェストファーレンからランスに移り住んだ際、Florenz-Ludwig から Florens-Louis に改名した云々と書きましたが、その際に「ルートヴィヒ」が「ルイ」に相当するのだと初めて知ったのですが、それをもっと遡ると Ludwig や Louis は Clovis に相当するのだそうで、クロヴィス1世という人がランスで戴冠してから後、歴代のフランスの王様はランスで戴冠することになったそうです。

戴冠といえば、今年のハイドシェックのツアーの演目…モーツァルトの協奏曲「戴冠式」は神聖ローマ皇帝レオポルト2世の戴冠式に合わせたためこう呼ばれるようになったのだそうですが、これはモーツァルトの庇護者でもあったヨーゼフ2世の崩御の結果、弟が跡を継いだための戴冠という意味もあって、昨日の日記にも通じますが、レオポルト2世は音楽にあまり興味がなかった様で、実際、この戴冠式のためのモーツァルトのコンサートも結果的には成功ではなかった様です。

また、この兄弟は女帝マリア・テレジアとフランツ・ヨーゼフとの間の子供で、他の兄弟にはマリー・アントワネットや「ふとっちょのマクシィ」と呼ばれたケルン大司教(←ベートーヴェンのパトロン)等もいます。

マリー・アントワネットといえば、ハイドシェックの奥さんターニャさんの結婚前の名前(←しかもヴェルサイユ出身w)と、前にもどこかに書いた様な記憶もあるのですが、ヴィヨンの時代以前の人であれば「昔日の美姫・・・」の詩の中にきっと名前を連ねていたであろうと思われます。

日本で最も有名なフランスの歴史上の女性…といえば、ジャンヌ・ダルクとマリー・アントワネットではないかと思うのですが、2人に共通することとして、その最期が公の前で処刑されたという、なんとも悲しい共通項を発見してドキっとしたんですが、さらに、(フランス語に詳しくないことが幸いしてか)マリー・アントワネットの名前の中にジャンヌがいることを発見して、なんかまた、変な暗示の様なものを感じたのでした。

マリー・アントワネットの本名(フランス語)
Marie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d’Autriche

(本当は Lorraine d’Autriche で Habsburg-Lothringen という家名に相当するので、ドイツ語だとMaria Antonia Josepha Johanna von Habsburg-Lothringen になって、部分的にも「ロレーヌのジャンヌ」という意味の並びにはならないんですけど)

で、こういう様な、言葉で理論的に説明は出来ないけども、実際にちょっと核心を突いた様な「ことば遊び」が、モーツァルトの音楽やハイドシェックの演奏にはある様な気がするんですが・・・というあたりで本日は着地しておきます(笑)

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感謝 <(__)>

ジャンヌダルク

本当に、テレビばっかり見てる訳じゃないんですけど、昨日たまたまテレビをつけたら「聖女ジャンヌ・ダーク」(ジーン・セバーグがジャンヌ役のやつ)という古い映画がちょうど始まったタイミングで、またまたヴィヨン・シリーズに戻らざるをえないというか・・・不思議なご縁が続きます。

ヴィヨンの例の詩にもジャンヌ・ダルクは登場していますが、その「ルーアンにイギリス人が火刑に処したる…」年に、ヴィヨンは誕生しています。

「聖女ジャンヌ・ダーク」は、悪夢にうなされる老いたシャルル7世の枕元にジャンヌが現れ、過去を振り返ってストーリーが展開するのですが、ヴィヨンの最初の罪に恩赦を与えたのもシャルル7世でした。

シャルル7世とジャンヌダルク

「聖女ジャンヌ・ダーク」より シャルル7世とジャンヌ

また、ヴィヨンの死刑が確定しMeung-sur-Loire のお城に閉じ込められていたときにシャルル7世は亡くなり、王位がその子供のルイ11世に引き継がれるにあたって、その戴冠の恩赦で死刑を免れたのだそうですが(そして例の詩もその同じ年に書かれたそうです)、そのMenug-sur-Loireでは、ジャンヌがオルレアン奪還の一部として戦った場所でもあるそうです

で、その戦いの舞台となった「橋」のたもとの古い建物にハイドシェックの友人が住んでいて、そこに連れて行ってもらった云々ということを前に書いてたんですが、現在はレストランか何かになってるみたいです。

レストランの名前は元々からの建物の名前ですが、「リレ・ルイ11」・・・リレはリレーの意味で、直訳すると(←マイブーム)”引き継ぐ” で、本来は馬の中継の場所とかいう意味なのだと思いますが、ヴィヨンに因んで考えると上記の様な意味で、ダブルミーニングのうってつけの名前になり得ます(笑)

ここの話は、chachatさんも過去にブログに書いていらっしゃいますので、勝手にリンクさせてもらいます。

このchachatさんの記事の中で出てくるハイドシェックの若かりし頃の写真・・・先日のシューマンのロマンスが入ったCDも含めて、カシオペのライナーに使われている写真ですが、1969年にMeung-sur-Loireで撮った写真なのだそうです。

(拝借w)

(拝借w)

ということで、特に結論がある訳ではないのですが、ここ最近の登場人物たちがグルグルと渦を巻いていて、ボクの脳みそは渦巻きになっています。