久々の「もやもやカテ」(仮・笑)ですが、引き続き、生暖かく放置の方向でお願いします。
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前回(笑)までは、ヴィヨンの解釈 → 小林秀雄という流れで来ていたのですが、松岡正剛に言わせると「小林の哲学の70パーセントはベルクソンである」そうで、ベルクソン、ショーペンハウアー、ニーチェのペシミズム/ニヒリズム界隈を彷徨っているときに不幸にも大震災が起きたわけですが、こういう非常時には日常的には顕在化し難い社会的な仕組みやイデオロギーなどが大地震後の断層の露頭の様に露出する感じで、そういう意味では不謹慎ですがちょうど良いタイミングで現代社会の構造を断面から観察出来ている様に思います。
そして、普段からその傾向は強いですけど、この様なときには尚更、ニーチェのいうところの「ルサンチマン」(・・・主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう→Wiki )に囚われてしまってがんじがらめになりそうな雰囲気満点だったのですが、幸いそのタイミングでこの「ルサンチマン」という言葉そのものを意識していたからか、その様な自分の感情も傍観出来ていることは不幸中の幸いです。
といっても、ルサンチマン的要素は多分にあるので、あーだこーだ言いたくなることは山ほどあるんですけど、ま、それは置いておくとして、
ニーチェ的にはルサンチマンを超越するには「超人」になるしか無いそうなんですけど、普通に考えて、無理やろ(笑)
ニーチェ自身、「超人」になる前に「狂人」になってしまいました。(本人的には「超人」なんだと思いますが…)
行き止まりか。
と、思っているところに、京大の今中・小出コンビを発見して、未発見の新たな元素を見つけた様に新鮮な気分になりました。(口内炎の日記の下の方に追記で参照しています。)
5月23日(月)の参議院行政調査会では小出さんが話をされる様ですが、そのくらいのことでは世の中、ただちに影響はない(笑)と思います。
が、小出さんという存在が確認出来たこと、原子力ムラと呼ばれる界隈が有意に完全な(都合の良い)無菌状態でなかったことが確認出来たことは何より有意義だと思います。
形而上的な世界(あるいは、進化論的な世界というか科学的な世界)よりも現実世界に解が有りそうな光が見えてきました。
< ※覚え書き(追記):放射線を含めた量子論など、もともと実証主義の最先端であるはずのものは、なぜか多分に哲学…もっと言うと宗教的ですらあるという矛盾を感じないではいられないことも含める。ので、上の「現実世界」は実証的にという’縛り’(笑)を超えて、ほぼカオスに近いかも → これ、辺縁系だと思う。辺縁系の科学者発見! 科学者の善意とか良心的な…とか道徳的な…というルサンチマン(=新皮質、ネガティブ)で語っては間違う。人類のホメオスタシス。対極的には経済学で用いられるところのいわゆる「見えざる手」(実証的な意味wで。都合の良いブラックボックスという様な。)か? >
そして、その存在はボクの中ではモーツァルトの音楽にもつながるんですけど、まだうまく纏められないのでまたいつか、もやもやカテで(笑)