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カモシカpart2

野生のカモシカが近づいてきたのか、ボクらが野生に近づいてきたのかわかりませんが(笑)、北海道に行ったときに牧場でお馬さんや山羊さんファミリーと垣根越しに戯れた距離感並みに近くなってきましたw

今朝はめずらしく、20羽ほどのトンビの群れが風に乗って遊んでいました。
(黒いのはカモシカじゃなくてラブラドールのたくちゃんw)

気配

最近山に行くと、遠くの人や動物の気配を感じれる様になってきました(笑)

何となく気配を感じてそちらを向くと、頂上の展望台にいる米粒大の人がこっちを見下ろしていたりとか、薮の中からニホンカモシカが様子を伺っていたりとか。

ニホンカモシカは今までも何度か見かけたんですけど、今では携帯を取り出して動画まで撮れる余裕w

アシタカ目指します(笑)

猿倉山から縄文時代を眺めてみる

最近は朝のけんの散歩はもっぱら猿倉山率が高いのですが、天気の良い日が続いていて、日によってはかなり遠くまでくっきりと見渡すことが出来ます。

この山の麓には直坂遺跡という石器時代〜縄文時代の遺跡があって、猿倉山の山道を散歩するときは、古代の人もこの辺りを歩き回って生活していたかもしれない…もしかしたら、イヌを連れて(笑)…などと思いながら歩くことが多いのですが、天気がよくて富山平野の見渡せるときなんかは、どんな景色が見えていたのかな…などと想像してしまいます。

ここの駐車場の脇に喫茶店があって、そこに置いてあった犬の本の表紙が「縄文時代のイヌの埴輪」だったのがこれまた面白い縁なので、ここから無理矢理話を広げたいと思います。

この猿倉山の、直坂遺跡とは違う方向の麓には姉倉比売(あねくらひめ)神社というのがあるのですが、富山市内には同名の神社がもうひとつあります。

ピアノ関係の人には馴染みの深い、芸術創造センターや桐朋学園富山キャンパスのすぐ脇にあるのですが、Wikiの姉倉比売神社のエピソードを見ると、芸創などの敷地は旧呉羽紡績工場跡地が活用されているということもまた感慨深いです。

姉倉比売神は能登の伊須流伎比古神(伊流岐比古神社の祭神)と夫婦であったが、伊須流伎比古は仙木山の能登比売(能登比売神社の祭神)と契りを交わしてしまった。怒った姉倉比売は船倉山の石を投げつくして能登比売を攻撃し、姉倉比売の妹の布倉比売もそれに加勢し、越国は大乱となった。出雲の大己貴命が越国に赴き、その調停により乱は鎮圧された。姉倉比売は混乱を引き起こした罰として、領地を没収されて呉羽小竹に流され、土地の女性たちに機織を教えるよう命じられたという。 Wiki:姉倉比売神社

で、その神社のまたすぐ脇には小竹貝塚という縄文時代の大きな遺構があるのですが、ここからは人骨が埋葬されていたすぐ傍に埋葬されていたイヌの骨が多数出土しているのだそうです。

上の姉倉比売のエピソードは、たぶんもう少し時代が下ってちょうど弥生時代くらいかなと想像するのですが、弥生時代とは紀元の前後300年ほどずつなのに対して縄文時代というのはその前の「万年」の単位で、その間には最終氷期縄文海進を経験しているわけで、富山平野の様子も上の写真の眺めとはずいぶん違っていたのではないかと思います。

そんなことを考えながら、文明の利器を使ってそのエピソードの登場人物の位置と上の写真を重ねて見当をつけてみたのですが、こうして見るとそのエピソードが手に取る様に見えて来る様な気がします。

姉倉比売のエピソードは、それより遥かに古い時代から直坂遺跡周辺の人たちと小竹貝塚周辺の人たちは、ひょっとしたら交流があったかもしれないと感じさせるエピソードでもあるように思います。

そして、その人たちはイヌと暮らし、イヌを人と同じ様に丁重に葬っていたと考えると、なんだかちょっと幸せになります(笑)


けん:「そんなむかしのこと、知らんがなw」


最近の朝の散歩仲間w