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飛騨と縄文人と蝦夷

前項の続きです。思考が(笑)

ミトコンドリア遺伝子の調査で、飛騨人は日本の一般的な割合よりも(アイヌ人や琉球人の様に)縄文人に近いという結果を踏まえて、縄文人への憧憬を込めていろいろと調べながら妄想を楽しんでいます。

関連する書籍やインターネットのサイトや、果ては「もののけ姫」のDVDまで買って見てます(笑)

もののけ姫、こんな見方をしてもしっかりと辻褄が合うのがさすが宮崎駿、すごいですね。

今はなき神岡鉄道の「神岡鉱山前駅(国鉄時代の神岡口駅)」から見る神岡鉱山の情景が、もののけ姫に出て来る「タタラ場」を彷彿とするというのをインターネット上で複数目にしたのですが、あながちそう言えなくもないと思いつつ、見た目だけでなくこの辺り一帯の古い呼び名である「高原郷」は、タタラ郷の変形かもしれない?とか、いろいろ妄想してしまいます。(明治初期には上高原郷から転じて上宝村となったりしているので、言葉の音だけが残っている可能性も無きにしも非ず…という様な。)

また、地名の由来としては、Wikipediaの「ヒナモリ」「比奈守神社」の項を引き算すると、飛騨=夷(ひな)の変形ととれなくもなく、律令制の中でも「下国」として格付けされ、大和朝廷の中央集権体制に望むと望まざるに関わらず”取り残された”と考えても不思議は無い様な気もします。

この律令時代には、

飛驒は当時辺境地帯を除けば最も過疎地域であったため税制上の特例が認められた。すなわち、庸・調を免除されるかわり大工(飛騨工)が徴発された。(Wikipedia:飛騨国より)

のだそうで、これが飛騨の匠と呼ばれる人々の発祥につながっている様ですが、過酷な労働条件に途中で逃げ出す飛騨工を取り締まるために出された触書きの中で、弘仁元年の太政官符というものには「飛騨の民は言語容貌既に他国に異なり」・・・飛騨の人はしゃべる言葉や風貌が他国の者とは違っているので(容易に見つけられるからかくまわず差し出せ)という様なものがあるそうです。

うーむ。

こんなことを考えつつふと思いついたのですが、考えてみれば、飛騨に伝わる「イチイ一刀彫」とアイヌの木彫り・・・熊や人形など、ひと昔前の北海道土産の定番だったアイヌの木彫りも、イチイ(アイヌ語でオンコ)を材料として一刀彫の荒々しい痕跡を特徴としているところが良く似ている気もします。
(ざっと検索した限りでは、こんな説はどこにも見当たらないのですが(笑))

などなど。

ボクの脳内では、これらを辺縁系と新皮質とかヴィヨン(中世の秋)とかマキャベリ的進化論などとどうしても結びつけて考えたくなる様なので、しばらくはまたグダグダしてそうです(笑)