もやもやカテの続編の前段階

この日記は、先日コメントいただいた免努苦齋さんへの言い訳なんですけど(笑)、最近は生活のサイクルに読書の時間がなかなか取り入れられなくて、思う様にもやもや出来ずにもやもやしています(笑)

ご紹介いただいた吉田健一も何冊か積ん読したりしてるんですけど、コモン・ロー的な事柄を抽象的に捉えようとすればするほど時代を逆行して、明治維新や江戸時代を軽く通り越して旧石器時代まで遡らざるを得ないことになってしまうので、手に負えないというのが正直なところです。

いつもけんと遊びに行く猿倉山の麓には直坂遺跡というのがあって、県内でも古い方の遺跡らしく旧石器時代・縄文時代の集落跡なんだそうですが、山道を歩きながら当時に思いを馳せてみたりするのが精一杯です(笑)

そうこうしているうちに、あらたに「マキャベリ的知性と心の理論の進化論」というのを見つけてしまい、これは例の辺縁系ー新皮質的な考え方のほぼど真ん中なんじゃないか?ということで、泣く泣く大枚をはたいてまた積ん読を増やしてしまっているのですが、

帯を見ているだけでもど真ん中っぽさが気に入ってます(笑)

で、そうこうしているうちに、免努苦齋さんご本人の著書らしきものも見つけてしまいましたので、同様に積ん読(笑)

という様な案配で、ボクも生きてるうちには無理かも(笑)、というご報告でした。

(無題)


Tears in Heaven / Eric Clapton

もし天国でお父さんがお前に会ってもお前は私の名前がわかるだろうか
もし天国で会っても昔のままだろうか
私は強くなくてはいけない, 生き続けなくてはいけない
私は天国にいるような男じゃないことはわかっているから

もし天国でお父さんがお前に会ったら手を握ってくれるだろうか
もし天国で会ったら私が立っていられるように助けてくれるだろうか
昼も夜もがんばって生きていこう
私は天国にいられないことはわかっているから

時には落胆するときもある
時にはひざまずきたいときもある
時には失望するときもある
時にはお願いだからと乞うときもある お願いだからと

この扉の向こうに安らぎがある, きっと
そして私は知っている 天国にはもう涙はいらないことを

もし天国でお父さんがお前に会ってもお前はお父さんの名前がわかるだろうか
もし天国で会っても昔のままだろうか
私は強くなくてはいけない, 生き続けなくてはいけない
私は天国にいるような男じゃないことはわかっているから
私は天国にいるような男じゃないことはわかっているから

鏑蕾ってきらいw

連休に植えたバラもグングン成長して蕾をたくさん付ける様になってきたんですけど、新苗ということで今年は咲かせず株を太らせるために蕾を摘む(摘蕾:てきらい)のですが、どうもこの作業は罪悪感を感じずにいられないんですよねー(笑)

まぁ、新苗なので仕方ないということにしておきます。

で、一昨年植えた工房の入り口側のバラもわさわさと成長して蕾をたくさん付けているのですが、

ちょっと、付け過ぎw

ティファニーという品種なんですが、本やネットで調べても基本的には一輪咲きと書いてあるんですけど、どう見ても房咲きです。よね?

茎は細くて蕾の段階で頭が重くてビロ〜ンと垂れ下がってしまうので、去年はキューリ用かなんかの支柱をしたんですが、今年はそれでも間に合わず、とりあえず全体をヒモで巻いてしのいでいます。(←だから、おしゃれなオベリスクとかにしれってw)

このバラも植えた年に最初だけ鏑蕾しましたが、あとは個人の自由に任せていて、去年も花が咲きそろったら花束みたいになっていたので、今年は更に立体感が出そうで楽しみですw

今朝は日蝕で空が薄暗くなったので、けんは再び寝ようとしていましたが(笑)、その後は空がリフレッシュされた様に爽やかになって、けんも若干テンション高めでしたw